館山市立博物館本館で開催中の企画展「関東大震災と館山」は、知られざる激震地・安房の被害状況や復興への取り組みを、地域に残された写真や記録で紹介する。
関東一円に甚大な被害をもたらした関東大震災については、東京や横浜の火災が知られているが、震源地に近い房総半島南部に位置する安房郡もまた、甚大な被害を受けた被災地の一つだった。
安房郡の死者は1206人、負傷者は2954人、建物被害は1万3726戸と千葉県内でも最大の被害を受けている=『安房震災誌「震災状況調査表(大正12年9月19日調)」』より。
特筆すべきは総戸数に占める被害戸数の割合。安房郡内でも被害が大きかったのは鏡ケ浦沿岸を中心とした館山平野で、90%以上の住家が被災した。『安房震災誌』によると、現在の館山市域の北条町(97%)、館山町(99%)、那古町(98%)、船形町(93%)、館野村(96%)、九重村(93%)や南房総市域の健田村(95%)、国府村(94%)、富浦村(88%)など、多くの地域が壊滅的な被害を受けた。その被害のほとんどは建物の倒壊だった。
また、火災も発生し、北条町では18戸、館山町では55戸、船形町では340戸が焼失した。西岬村洲崎では6メートル、富崎村相浜では9メートルの津波が襲来し、相浜では70戸の建物や漁船が波にさらわれている。
人的被害や建物被害が少ない地域であっても、地形の変動によって漁港や磯根が損害を受け、漁業活動に支障が出ている。産業上の損失は漁業、農業、工業など、多方面に渡って多大だった。さらに道路の亀裂、隧道(トンネル)の崩落、線路の破損により交通網は崩壊。電話や郵便といった通信も途絶した。
東京の被災もあり、地震直後は安房郡外からの救援は絶望的だった。当時の官選の安房郡長・大橋高四郎は「安房郡のことは安房郡自身で処理する」と覚悟を固めたという。郡長が中心となって郡役所職員や各町村長らが連携し、各機関への連絡、請願、救援活動を行った。大橋郡長は「被災者は自ら回復(復興)に努める」ことと、「無事であったことを感謝し、他の被災者を援助する」よう人々へ呼びかけ ・・・
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