連載「一度は訪れたい 郷土の古城」 千葉市・首都圏地域

 戦国時代をはじめ、過去には千葉県内でもさまざまな勢力が盛衰を繰り広げた。現代に残された城跡は、かつてそこにあった戦いや人の営みを想像させてくれる。県誕生150周年の節目に、郷土の歴史へ思いをはせる機会として、千葉市・首都圏地域に残る古城を紹介する。

 ▶国府台城(市川市)
 ▶米本城(八千代市)
 ▶関宿城(野田市)
 ▶生実城(千葉市中央区)
 ▶夏見城(船橋市)
 ▶小金城(松戸市)
 ▶大野城(市川市)

合戦舞台「境目の要」 国府台城(市川市)

 市川市国府台は戦国時代、大きな合戦の舞台になった。その要地の高台に城跡が残っている。遊園地、軍用地、公園へと時代につれて変遷したため、戦国時代の遺構は多くないが、兵(つわもの)たちが攻防を繰り広げた往時の面影をしのぶことができる─

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  • 経済拠点として機能 米本城(八千代市)

     国道16号から程近い中世の城郭跡で、江戸時代に佐倉藩の学者がまとめた「佐倉風土記」によれば、戦国時代に村上国綱(くにつな)・綱清(つなきよ)の父子が居城したと伝わる。築城時期や廃城となった経緯などに不明点が多い一方─

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  • 交通要衝、争奪合戦 関宿城(野田市)

     千葉県の最北端、利根川と江戸川の水運が交わる交通の要衝にあった関宿城。江戸時代には江戸城の富士見櫓(やぐら)を模した三層の御三階櫓がそびえ、天守の機能を果たしていた。明治の河川改修などで消えた郷土の誇りの復活を願う地域住民の強い要望で─

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  • 房総戦国絵巻の舞台 生実城(千葉市中央区)

     歴史の舞台に登場するのは15世紀後半。千葉市立郷土博物館の資料などによると、千葉氏の有力一族、原氏が1455年に千葉宗家を滅ぼした後、松戸・小金から生実城に本拠を移したとされる。その原氏を追い出したのが─

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  • 穀倉地帯守る拠点か 夏見城(船橋市)

     崖崩れにより、城の規模を知ることは難しい。現在残る土塁は北、西、南に回る三角形状。東側は崖になっており、自然の地形を利用して外敵を防いでいたと思われる。北東側に土塁の切れ目があり、小規模な虎口─

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  • 天険の地、堀底にわな 小金城(松戸市)

     松戸市北部の住宅街に、そこだけ時が止まったような静けさが漂う大谷口歴史公園。この場所にはかつて「小金領」本拠地として、東西800メートル、南北600メートルに及ぶ下総国有数の大規模城郭・小金城が威容を誇っていた。下総台地の─

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  • 「将門愛」あふれる里 大野城(市川市)

     平安中期の10世紀前半、関東一円に勢力を広げ、京都政権に対し「東国の独立」を挑んだ平将門。「将門愛」にあふれたこの地には将門が勧請したとされる神社があり、同市立第五中学校の校舎が建つ台地周辺は─

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